〜石川 遼選手を応援しています〜 悔しさを数えるたびに強くなれる! 夢が叶うその日のために… かすみそう
かこさん、お手数をおかけしてしまいました。ありがとうございます。
アメリカでの記事をかこさんが翻訳して下さいました。内容も素晴らしいですが、
かこさんの労力に感謝します。みなさん、お読み下さいね!
「二人の日本の星がPGAツア-に現れた!どちらか輝くのか?」
アジア人ゴルファ-が、PGAツア-でプレ-している数は少ない。
そして、この中で著しい名声を達成しているものはさらに少なくなる。松山と石川はアメリカと同時進行で進むスケジュ-ルでプレ-している。日本は人気のある才能と、世界に通用する二人を送り出している。やっと20代になった彼らに与えられる成功、彼らがどこまで行けるのか、だれがてっぺんに到達するのかを推測しようとするのはいたって自然なことである。
石川のプロとしてのキャリアは、今シ-ズンのプレジデントカップからつながる軌跡となっている。ゴルフファンは、とても長い間のように思える位、彼の可能性について沢山聞いてきている。
まだたった22歳なのに、彼は子供時代から「ミスが許されない少年」として評価されている。日本に帰れば、石川はタイガ-ウッズやブラッドピットと比べられ、彼の文化を超越したものを感じさせてしまうかも。 Back9ネットワ-クのデニスアレンによると
「世界の人気と云う中で遅れをとっていた日本のゴルフ業界に、彼は若く、あどけない感じで入ってきた。日本男子ツア-よりも日本女子ツア-のほうが人気があった。そして韓国勢は世界の舞台で自分たちをどう見せられるかということを準備し始めていた。
彼は日本のスポ-ツに新しい個性とエネルギ-をもたらした。」
石川は彼の名声を鵜呑みにして足を踏み込む様なことはしなかった。
彼は2007年、15歳のアマチュアとして初めて日本ゴルフツア-で勝利している。翌年には、さらに他の試合で勝利し、世界ランク100位に入る最も若いプレイヤーになった。2009年にはツア-で勝つことで進化を発揮し彼の成功は、すべてのメジャ-ツア-で記録された中で最も少ない58スコアで中日クラウンズを勝利したことで続いた。
石川の最高の瞬間というのを注目してみると、ほとんど全くといっていいほど日本で起こっている。PGAツア-で、彼の記録はちょっとしたヒットとミスがほぼ同じくらい。ほとんどのアメリカのゴルフファンは、マスタ-ズでの彼の登場については知っているー特別招待を受けて、ちょっとした批判とともに否定的に受け入れられた。石川自身は、世界ランクでは落ちているのに5回目の特別招待を受けたことに驚いている、と今年初めに語っている。
過去4度のオ-ガスタへの参戦で、石川は1人でフィ-ルドに参戦するのにふさわしいとされていたのをいやとはいえなかった。
多分、がんばりすぎた副産物なのかも。
マスコミによる激しい取材攻勢や母国の為に単独でたいまつを運ばなければならないゴルファ-などほとんど居ないのだ。
石川のスタ-としてのパワ-が少し落ちていたとしても、それはもしかしたら小休止と云う意味で歓迎なのかも。
PGAツア-デビュ-でのリビエラカントリ-クラブでは、日本の記者軍団がメディアセンタ-を制圧し、米スポ-ツネットワ-クにインタビュ-される石川を紹介するテレビとのスナップ写真をとり、
遼に関する全てのことを知りたい日本側のとどまるところを知らない欲望を暴露した。
アンディ山中は「石川はゴルフへの興味を起させるための唯一の影響力であるのかも」と。「遼は、完全版なんだ。米国でタイガ-が若い時代と状況が同じかどうかは確かではないが、遼のように世界的なアスリ-トとして可能性を秘めている選手を見たことがない。」
石川の残念だった2013年を、遼はもちろん新しい用具スポンサ-であるキャロウェイからも、期待が高かったので、まとめてみた。
明久氏(キャロウェイジャパン)は、「石川は米国のコ-スコンディションでのトラブルに適応しなければならない」と。「彼は主に異質な芝、コースレイアウトにもがいていた。特にショ-トゲ-ム、パッティングにおいて。これらを修正するのには若干時間がかかるかもしれないけれど、すごく学習効果のあることなんだ。」
スクランブリングでの石川のパーセンテ-ジは53..27でツア-では160. 日本のスタ-のハイライトはほとんど無かった。彼は23試合の内、トップ10が一度、そしてツア-にフル参戦出来るための十分な賞金を稼げなかった。彼を中傷する人々は、結果よりも彼が若いうちに賞賛を得すぎたことを指摘することに飛びついた。
そして、若い頃から日本でロックスタ-のように賛美されてきた石川はこのような苦難をかわすのに慣れていない、と見抜かれていた。
彼のスコアカ-ドの結果をもとに、平手打ちのように批判するだけなら簡単なこと。彼らはどんなに労力がつぎ込まれたかを見ていない。彼らは、サンデイエゴに家を買った石川を見ていない。
「私達はドライビングレンジを持ち、下にはインドアパッティングエリアもある。これは独自に作られ、本社のR&D機能の延長として建てられた。遼は近くに家を買い、練習したいときはいつでもこれる。ミケルソンも同じようにしているよ。彼は15分位のところに住み、新製品の微調整などをやっている。」とキャロウェイのスコットは語った。
石川は記者に話した。「日本の皆さんはいつでも僕をみてくれている。今年最大の焦点は自分のツア-カ-ドを維持すること。皆も来年、僕がツア-プレ-ヤ-であることを願っている」
石川の2013年は24試合というきつい日程だった。
これは彼にとっては今年の残りを十分に休めるようにしただろう。
(いやいや日本で忙しいし BY かこ)
そして彼の名前と世界的アピ-ルをあてにして、2014年のスケジュ-ルを一緒にととのえていく。
石川は25位以内に入ったウェブドットコムツア-で戦った。
彼は昨シ-ズンかかって獲得した賞金を上回る金額を直近の2試合で獲得し成功を収めている。そして皆が彼のプレ-について話している、今年年初にキャロウェイと契約したときよりもむしろ、前評判が高い!
石川はまだ有望なジュニアの頃からオデッセイのパタ-を使っていたのでずっとキャロウェイから狙われていた。
彼がヨネックスとの長い契約を終えたとき、石川はスリクソンやナイキなど数社から契約を嘆願されていた、もちろん誰よりも石川と親交のあるヨネックスからも。
でもキャロウェイはあきらめなかった。研究開発副社長のアランと、チ-フクラブデザイナ-のロジャ-を東京の北にある人里離れたコースへ送り、石川とハ-フラウンドプレ-し、話し合った。
交渉終結時、石川は複数年契約を結んだ。
キャロウェイにとって石川との契約は、ブランドを生き返らせ、アジアでの影響力を増加させるために多方向に向けられた戦略もその一部となっている。
BACK9 NETWORKのアレン曰く「彼らはビジネスモデルとブランドの完璧な改良となっていく。違った情報を引き付けるために新たな血が必要だ。そして今から20年前、日本はすでに非常に良くこのような事をしていた。だから彼らが若く、活力のある日本のプロ選手をポスターを飾る青年に指名しても驚くことなんかじゃない。」
日本は2350のゴルフコースがあり、900万のゴルファーがいる。これは米国に次ぐ2番目の市場である。 キャロウェイの明久氏によれば、石川の契約によって、日本はもとより中国、韓国でも勢いを増している。決算の時期、キャロウェイの2013年、日本の第一四半期の純売上は一昨年より4%増加し、他のアジア全体よりも高かった。石川の契約には当然の事ながら、アパレル、帽子、手袋、そして靴も含まれる。彼のグローバルな任務、際立ったセンスはその市場での魅力に。2002年からライセンス契約をしていたサンエーによって確かなアパレルのラインが配信されてきている。
昨年10月から石川を一緒に仕事していて、キャロウェイとサンエーは、鮮やかで若く、がむしゃらな感じで見られてきている。
キャロウェイが、特に米国で、過去になかったような感じ。
明久氏は「日本ではアパレルにおいてはまた違ったアプローチをする。米国で我々が出したことのないスタイル、価格帯。」と語った。
ツアーの毎日の日程をサポートするために、キャロウェイは島田氏を帯同させるために任命した。彼の担当は、用具の調整、ウエアのコーディネイト、写真撮影等の管理、そしていろいろな起こりうるだろうことに対処すること。普通なら、このような責任範囲は代理店が扱うことかもしれないが。
ゴリー氏は「彼の用具の調整をするために誰かが遼のPGAツアーに帯同するというのは変わった状況かもしれない。そして南カリフォルニアの彼の家の近くに練習場もある。これは全部新しい試み。
私は必ずしもこれを新企画と呼びたくはない、でも我々にとってこれは未知の領域なんだ。これが 青写真となるかどうかはまだ言うのは早すぎるかもしれない。他の契約者たちがどんな風に扱われるかも。。。でも我々は本当に若くて才能があり、世界にアピールできる選手を探している。」
キャロウェイと石川の関係は前例のないものであり、ある人はこれを無駄遣いとよぶかもしれない。
「石川&松山は、海外の試合でどんな結果であろうと自国ではヒーロー。だから契約金は日本と中国だけの売上増加によって払われる。」とアレン。
石川にとって最も良いことは難関を打ち破りPGAツアーで優勝すること、松山にもありうるだろうし、逆の場合も同じ。
二人のプレーヤーはお互いにぶつかりあう。
個人あるいは国を背負ってーそれぞれのプライドによって。
松山のフライヤーズドットコムでの強いパフォーマンスは、わずか1週間後に開催されたシュライナーズでの石川のベストフィニッシュをもたらした。
次の十年の間に彼らのキャリアがどうやって開くかを見ていくのは楽しみである。そしてアジアのゴルファーの次世代にもたらす影響をはかりたい。朴選手が1988年に22歳でLPGAで優勝したあとのKOREAを思い浮かべてください。朴選手はその時はKOREAでたった一人の選手だった。でも2009年、47人のプレーヤーで、
行われた試合の三分の一以上は勝利している。
PGAツアーではKJチョイ、YEヤン、ノスンヨル、ベサンムンが道すじを作った。
これからの10年、ツアーはどうなってると思う?
もし石川や松山が その答えをもたらしたとしても驚いちゃだめだよ!
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